希望の場所からどこへでも――。小回りが得意なタクシーの利便性を活かして業界初となる「タク旅」を展開するのは、長野県長野市に本社を構える中央タクシー株式会社。タク旅とはドライバー自ら案内役となり、少人数観光を行うツアーのこと。旅行商品としてパッケージで販売にすることにより、通常のタクシー貸切よりもリーズナブルな価格を実現しました。多様化する現代の旅行シーンにマッチした新サービス発売の背景には、危機感の中で生まれた業態変化の必要性という課題の解決がありました。業界の常識にとらわれない考え方で注目度を増す同社。その成長の鍵に迫ります。
■中央タクシー株式会社
本社/長野県長野市若穂保科265 TEL 026-282-7777
代表者…宇都宮司 従業員数…205名 URL:http://www.chuotaxi.co.jp/
1975年に会長である宇都宮恒久氏が創業。「お客様が先、利益が後」を社訓に、業界に先駆けたサービスを次々投入。06年には新潟営業所を開業する。現在保有している車輌台数のうち、一般タクシー(セダン)が48台、ジャンボタクシー(ハイエース)が60台の計108台。08年に宇都宮司氏が代表取締役社長に就任。翌年3月には旅行業としての登録が完了し、旅行事業部が発足する。同年6月からは業界初となる自宅からの乗合タクシー旅行「タク旅」がスタート。顧客優先のサービスを根底に、業界の常識にとらわれない柔軟な発想とアイデアを発信するとともに、新たな事業開拓を行っている。
中央タクシーは1975年の創業以来、タクシー業を許認可事業ではなくサービス業であると定義し、一貫して「お客様主義」を掲げてきました。中でも同社の転機となったのが97年の事業協同組合からの脱退です。古い業界の体質に足並みを揃えないからこそ、タクシーの新たな未来を切り拓いていけると考えた同社ですが、脱退すれば自社売上40%を占める全社共通のタクシーチケットが利用できなくなる。それは倒産を意味していました。そして同年、料金の規制緩和が起こります。当時の社長である宇都宮恒久氏(現会長)は10%の運賃下げを行い、組合を脱退する大決断を下します。それが、理念に基づくお客様中心の送迎を自由に展開しはじめていく契機となり、業界内でさらに圧倒的なシェアの獲得につながっていきました。
業界でもトップの売上を誇る同社でしたが、一方でパイ自体が縮小し、供給過剰になっていた市場の影響は避けることができませんでした。この危機感から誕生したのが、99年に始まったジャンボタクシー「空港便」です。一人でも要望があれば車を走らせ、自宅(長野市)から成田空港まで均一9,500円で送迎を行います。しかし、サービス開始当初は空港便を走らせるほど赤字になる状態。廃止の危機もありましたが、「お客様が先、利益が後」という社訓によってその後も継続。半年後には採算が取れるようになり、現在では売上の約6割を占めるほどに成長しています。
「空港便の成功で業態を変えることの重要性を実感しました。でも、売上の大半を占める空港便も将来的にどうなるかわかりません。今から新しい売上の柱になるものを探さなければならない。これが旅行事業を立ち上げたきっかけとなりました」と代表取締役社長の宇都宮司氏は話します。
「業態変化、つまり新たな売上の柱となる事業を思案したとき、自社が培ってきたドライバーの接客の質の高さを活かしたいと考えていました。接客の質の高さには自信があります。彼らが添乗員となって観光案内を行えば、きっと手ごたえを感じられる。それにタクシー業界の市場が約2兆円なのに対して、日帰りバス旅行は4兆円以上。ニーズの多様化、グループの小規模化、シニア層の旅行需要の中で勝算もありました」と宇都宮社長。さらに「駅を降りてから観光地まで行く二次交通が整いきれていない長野県にとって、名所や店舗をつなぐ役割をタクシーが担えば、新たな利用シーンの拡大にもなる。眠っている観光資源とお客様をつなげることで、地元の活性化に役立つなら、こんなに嬉しいことはありません。それが09年からスタートしたタクシー旅行「タク旅」です」と続けます。タク旅とはドライバーが自らツアーコンダクターとなり、送迎から観光案内までを行う旅のこと。集合場所が必ずしも限定されていないメリットや、団体旅行では行けない場所へのルート設定が特徴です。
しかし今までのタクシーは移動手段の提供がほとんどで、ツアーのように“タクシーに乗ってどこかへ行きませんか”という提案は未知の領域でした。
「旅行事業に対する不安はありましたが、当社のお客様が当タクシーを生活の中の楽しみのひとつとしてご利用してくださっている。移動のプロセスにある“楽しさ”を積極的に提案して、タクシーに乗ること自体が目的になれば、顧客満足度も上がり、新たなチャンスも広がると思いました」(宇都宮社長)。
旅行会社になるつもりはないと断言する同社。タク旅はあくまで、業態を変える手段であり、新たなタクシー利用のシーンを広げ、顧客のニーズをかなえる商材にほかなりません。現在は月5件ほどの申し込みですが、学生や若い女性などの反応もあり、今までタクシーと接点がなかった層への手ごたえを感じています。その接点が新たな顧客を作り出すきっかけになっているのです。
接客に力を入れてきた同社でも、旅行業を行うためには今までの以上の能力が求められることは必須です。
「タク旅ではドライバーが自ら観光案内を行うので、一般タクシーと同じ対応では不十分。この高いハードルを越えるには、さらなる努力が必要になりました」(宇都宮社長)。
朝礼はプロジェクターを使って30分かけて行われ、列を揃えて入場することから始まり、発声練習、胸に手を当てての経営理念の復唱。抽象的な経営理念をロールプレイングの実践により、今日の接客にどう活かせばよいのかまで具体化し、ロープレイの内容をみて仲間のよかったところを中心にディスカッションします。礼儀正しく秩序ある風土の中にも、笑いもあり和気藹々とした雰囲気で行われます。
「社内の良好な人間関係が重要と考え、6年ほど前から朝礼のスタイルを日々進化させてきました。以前は悪い面を指摘しあっている傾向にありましたが、良いところを褒めあい、質問を加えるなどコーチング型の朝礼に変えました。また、従業員同士が自発的によいコミュニケーションをとれば、タク旅など提案型のサービスが成功する布石になるはずです」と宇都宮社長は力説します。
タクシー業界は、職人気質や保守的な部分が残る未だ閉塞感がある業界。同社にとって、業態を変えるという大きな目標を達成することは容易なことではありません。しかし見方を変えれば、今まで誰も成しえなかったことが大きな影響力をもたらす舞台があるということ。それは自社の成長を促す要素にもなるし、目に見えた変化を感じられると宇都宮社長は言います。
「IT業界など、次々と新しいアイデアがうまれ便利になる世界はすごいと思う。反面、企業は日進月歩の変化に対応しなければ生き残ることは容易ではありません。そう思えば、タクシー業界は静かなものです。だからこそ、チャンスがまだまだたくさん存在している。静かな池の中に一石投じて大きな波紋を作るように、自分達の考えが社会に広がっていく様子を想像したら、タクシー業界ってとてもワクワクする魅力的な業界ですよね」。
同社では、タクシーの魅力を改めて考え直し、これまで意識してこなかったマーケティングの考えや販促などについても勉強を重ね、今年度から新卒採用を行い、積極的に新しい考えを取り入れる活動をしています。今後はまず、発売から一巡したタク旅の内容に磨きをかけて、説得力のある分析やより具体的な売上目標を設定する準備を進めています。
「赤字や倒産などタクシー業界に関する話題にネガティブなものが多い今、タク旅を通じてタクシーってすごい! と思ってもらえる存在になりたいです。来年度からはタク旅の車輌が毎日10台は稼動しているような状況になればと思っています」と宇都宮社長。
同社の規模は決して大きくありません。しかし小さな意識の積み重ねが、さまざまな場所で大きな影響を与えています。タクシーが手段ではなく目的になるよう、業態変化を目指して果敢に挑戦する同社の取り組みは、成長、そして業界全体を変える源泉となるはずです。