世界的な景気低迷や、相次ぐ原料価格の高騰で、中小企業のものづくりは厳しい状態に立たされています。しかし、このような社会背景の中でも、企業を成長・発展させるためには、限られた人材の中で、新たな商材を生み出し、適切な経営戦略や事業計画を立てることが求められます。
今回は、環境への配慮はもちろん、自社の廃材を商材として有効利用したものづくりに取り組む太陽工業株式会社(本社・大阪府大阪市)から、企業における新たなビジネスチャンスのヒントを探ります。
■太陽工業株式会社
大阪府大阪市淀川区木川東4-8-4 TEL 06-636-3111
代表取締役社長…能村光太郎 社員数…527名 URL:http://www.taiyokogyo.co.jp/
大正11(1922)年に「能村テント商会」として創業した老舗のテントメーカー。博覧会やドームのテントをはじめ、輸送用の膜コンテナーや汚泥や油による海水汚染を防ぐ膜など、幅広い種類の膜製造を行う。
2009年に創業87年を迎える太陽工業株式会社(以下、太陽工業)は、テントなど「膜(まく)」を製造する老舗メーカー。主に膜施工とその周辺を手がけているため、企業名を知る一般消費者は少ないものの、東京ドームの屋根や愛・地球博のパビリオン、洞爺湖サミットの施設テントや上海スタジアムなど国内外で多くの人が目にする膜事業を手がけています。
このような大規模な膜を作っている太陽工業が、2007年5月にバッグの製造・販売を始めることになったのは、代表取締役社長である能村氏からの一通のメールでした。
「『ブランドのカバンを購入した時、太陽工業の技術・購買・開発力を組み合わせれば、もっとすばらしいカバンができるはずと考えた。どのような組み合わせでもいい。一度、チャレンジしてみてくれ』そんな内容のメールでしたね」。
メールを受け取ったのは、カバンづくりのプロジェクトリーダーを任された、生産企画課長の荒木氏でした。
「カバンづくりを命じられたとき、2つの要素を考えました。まず、工場の中で捨てられていた多くの端材材料に価値をつけること。もうひとつは、定年退職後も指導者として工場で働いていた技術者を活かすことです(荒木氏)」。
新たなものづくりに使用される廃材は、太陽工業に受け継がれるある精神から生まれたと荒木氏は言います。
「先代はゴミ箱の中の物ですら自分の資産と思っていました。工場に行き、まず見るのがゴミ箱の中。ゴミ箱をあさって「これまだ使える」と工場長を叱っていました。原材料を100%使い切ることがメーカーのやるべきこと。この考えがカバンづくりの基本コンセプトになりました」。
“もったいない”精神に加え、常に何かのヒントを模索し続けることが、新たな分野のものづくりにつながる原点になっていたのです。
カバンづくりのプロジェクトは2005年、荒木氏とテント縫製技術の熟練職人である宮坂氏の二人でスタートしました。材料になったのは、テントを作る際に出るフェンツ(余り)と役目を終えたコンテナーバッグの膜。
「初めは機能面ばかり前に出て、主張しすぎたバッグができてしまいました。これではダメだと思い、さまざまな意見を取り入れようと、社内でプロジェクトメンバーを集めることにしたのです(荒木氏)」。
社内で推薦してもらった人の中には「テントをカバンにするなんて」「そんな使い古したテントをカバンにしてどうする」「売れるわけない」という批判的な意見もありました。
「プロジェクトメンバーは20代半ばから30代半ばの社員で構成し、総務部で受付をやっていた社員もいれば、熱溶着の加工技術者もいます。もちろん、社長の使命とはいえ、任意のプロジェクトだったのでカバンづくりに専念するわけではなく、それぞれ本来の担当業務を抱えながらの活動でした。(荒木氏)」。
女性社員がメンバーに入ったことで、デザインセンスは見事に向上しました。そして、何より光ったのが、大阪府優秀技能者(なにわの名工)でもある宮坂氏の技でした。
「技能伝承のため、定年後も会社に在籍してもらいましたが、スケジュール上、若手指導を一日中しているわけでもありません。今回、テントづくりで鍛錬された50年以上の縫製技術をカバンに応用してもらい、職人にとってもお金ではない功労という報酬が、ものづくりへのモチベーションにつながったと思います(荒木氏)」。
このカバンづくりは、材料・人・設備すべて社内にあるものを活用しています。新たな投資をせず、自分たちの持っている資源を見直し、新しいビジネスチャンスを開拓しました。また、プロジェクトメンバーは皆、カバンづくりのプロではありません。職人でもなければデザイナーでもありません。常識にとらわれず、新たな分野にチャレンジすることが、新たな商材につながっているのです。
数々の試行錯誤を繰り返し、ようやく『MAKTANK(以下、マクタンク)』が完成したのは、再スタートからわずか4ヶ月後のことでした。
「カバンは完成しましたが、販売方法が全くわからない状況でした。一般消費者向けに小売をしたこともなければ、業界の仕組みも知りませんでした。代理店経由の販売を考えましたが、卸値も見合わず、手製造の一日2〜3個が限界の状況では無理でした。そうしてたどり着いたのが、自社のインターネットサイトでの販売でした。もちろん、HP上で販売するなんて初めてで手探り状態でしたね(荒木氏)」。
カバンづくりもインターネット販売も素人だからこそできたと荒木氏は続けます。
「マクタンクは、利益を追求した“商売”という概念がすべてではありません。お客様に感動してもらい、メンバー自身も感動することをビジョンとして掲げています。マクタンクを持っている人を見かけたら声をかけ、自分がマクタンクを持っているときに声をかけられたらきちんと対応する。マクタンクの販売は直接お客様と接し、商品の反応を見ることができます。本来の業務では体験できないことが、結果として仕事や新しい商品作りへの原動力になったと思います(荒木氏)」。
販売開始から今まで、約500個を売り上げ、認知度も浸透し始めています。2008年に伊丹空港で実販売が始まり、今後、成田国際空港での販売も予定。しかし、現在のところ事業化計画や拡販などは考えていないと言います。
「マクタンクが持つ役割は、太陽工業の環境の3R(Re duce=廃棄物発生を抑制、Reuse=再利用、Recycle=再資源化)に対応した取り組みの一環として、世の中に広めることが優先事項だと思っています。知名度が広まれば、マクタンクをフックに商談がうまくいき、結果的に太陽工業に利益をもたらすことにもつながります(荒木氏)」。
企業にとって、新たな分野に足を踏み入れるには、投資とリスクは避けられません。しかし、改めて自社の資産に目を向け、見方を変えれば、少ない投資で大きな利益を生むヒントになるかも知れません。